ツールドおきなわ市民210
早く終わって欲しい、1週間前からずっとそんな気待ちだった。
ツールドおきなわ市民210はホビーレーサーの甲子園と称されるアマチュア最高峰のレース。
距離205km獲得標高2600mで自転車の上で補給したりトイレしたりしながら5時間以上走り続ける過酷なレース。
全国から多くの強豪選手がこのレースに照準を合わせて集まってくる。
1年間の集大成、私もこのレースを目標にやってきたつもり。
練習量(実走距離)を振り返ってみる。
6月 1963km
7月 1716km
8月 2222km
9月 1573km
10月 1365km
もちろん月間走行距離は指標にならずあくまで目安だが1番乗り込まなければいけないはずの9,10月で思うように走れなくてとにかく自信が無かった。
おきなわ210の上位陣は皆んな直前の月は月間2000km以上、多い人は3000km以上乗っている。
一緒に練習してた人はよく分かると思うけど、沖縄は観光だとか、今シーズンはもう終わっただとかずっとネガティブなことを言っていた。
初めてのおきなわ210で何もかも未知数、だからせめて来年以降に繋げられる走りをしようと思った。
とにかくベストを尽くす、自分にそう言い聞かせた。
持ってる力を全て発揮して展開に恵まれればシード権(50位以内)を取れるんじゃないかなとか考えてた、リザルトの目標は1枚目だがとにかく無事に完走することがなによりの目標だ。
当日は3時起床、朝食はパスタ、バナナ、ジェル、コーラ、昨日までずっと食べ続けてたのでそこまで多くない、レース中走りながら食べればいいかなと考えてた。
5時過ぎに会場の名護着、既にバイクが並べてあったので自分も割と前の方に並べた。
着替えたり荷物を預けたりしている内にあっという間に時間が過ぎる、トイレで軽量化していると戻る頃には移動が始まっており結局ほぼ最後尾からのスタートになってしまった。
序盤は落車が多いと聞いていたので不安があったが周りに菊池さんや品川さんがいたのでそこに合わせていけば前に上がれるかなと考えていた。
7時27分号砲と共にスタート。
ついに始まってしまった、ふわふわした気持ちのままクリートをはめる。
右側から上がってく、とりあえず前の方に位置取って落車リスク回避したい。
開始500m左側で落車が起こる、ふわふわしてる場合じゃない、レースはもう始まってると気を引き締め直す。
すんなり30〜50番手まで上がれた、最初の70kmは主にこの位置の右側で走ることになる。
特に気をつけなければならない本部半島が終わる40km地点まで落車が少なくとも4回はあった、どれも巻き込まれそうにはならなかったけど本当に怖い、この位置でもだめなのか。
1時間が経過したのでジェル入りロールパンを食べる、若干ベタつくが開けやすいし2口もあれば食べれる、初の試みだったけど成功と言えるな。
50km地点でメイン集団から続々とトイレストップ、手を挙げてから右車線に寄る、尿意が無かったのでスルーした、ここまでボトル半分しか飲んでない、もっと飲んでおくべきだった。
60km地点までにロールパンを3つ食べておいた、ここら辺から普久川ダムの登りに向けての位置取りで被せてくる人が多くなってナーバスになった、前日に試走した場所なのでトンネルの位置や登り前にコーナーが2ヶ所ある事は把握している。
普久川(1回目) 18:30
30番手くらいで普久川ダムの登りへ、まだ先は長いのでゆったりペースだった、集団効果でまだまだ余裕を持って登り切ることが出来た。
下ってから北上、集団はまったり、まだ100名以上いる、モグモグタイム、しかしトイレタイムはない。
奥 10:17
奥の登り途中で有力選手達がトイレをしている、尿意が出てきたが自分が真似すると遅れかねないのでパス、ここもまだ余裕をもってクリアできた。
海岸沿いを南下、アミノバイタルとMag-onジェルを摂る、先頭が高速ローテしていて縦に長く40番手くらいで2度目の普久川ダムの登りへ。
普久川(2回目) 18:40
前半はかなりスローペース、これなら付いていけると思ったが後半ペースが上がり前がブチブチ千切れる、自分も脚にきていて埋めることが出来ない、下りとその後の補給所の登り返しで必死に前を追ったが追いつけず、先頭集団40名ほどが先行してしまった。
私は後ろから来た第2集団に吸収されそのグループは20名ほどのパックになった、とにかくこの集団に付いていく。
学校坂 6:21
普久川ダムを下って学校坂へ、みんな消耗していたのでここはゆっくりと登った、先頭集団はここを5分切っている。
ペースで走っていると、前から次々に先頭集団から学校坂のセレクションでこぼれた選手が落ちて来た、そこに中尾選手や品川さんがいたのはびっくりした。
こぼれた人達を回収し30名ほどのパックになった。
後半に向けてMag-onを摂る、多めに持ってきてよかった。
前は30人前後なのでうまくいけばシード権が取れるかもと考えた。
慶佐次、有銘、安倍と連続して登りをこなして行くがこのグループからは千切れる気がしない、そう思えるほど後半も脚が回った。
羽地ダム登り 5:17
いよいよ最後の登りの羽地ダムへ、ここで30名ほどから10名ほどが脱落、残った20名ほども頂上付近で半々に分断していたので周りに同調しペースを上げて人数を減らしにかかる、かなり余裕を持って登れた、脚を吊る気配は全くない。
下りで追い付かれてしまい22名の集団に。
最後の平坦区間7kmはアタック合戦、積極的にチェックに入り、抜け出されたらしっかりローテに加わりスプリントに持ち込む。
アタックと吸収を何度も繰り返し最後は22名でのスプリント、西山さんが脚残してそうだったので番手に着く。
ラスト500mからの早駆けにしっかり合わせることが出来た、200mを切ったところで左側から発射、しっかり掛かって集団の頭を取り31位でフィニッシュ。
無事に終わった安堵感が込み上げてきて思わず叫んだ。
やっと終わった、いやもう終わってしまった、あっという間の5時間半だった。
今回のレースは2回目の普久川の登りで遅れてしまったが、仮にオールアウト覚悟で食らいついても高速ダウンヒルで縦1列からの高江のセレクションに生き残る事は出来なかった(今の実力では)事を考えると全力を尽して今取れるリザルトの最善を取ることが出来たと言える。
このリザルト自体には満足してる。
ただ優勝した紺野さんと同じレースに出てたとは思えない。
今年の経験を活かして、また来年のおきなわへの準備を始めよう。
やる事は挙げたらキリがない、それは全部伸び代ってこと、まだまだ私は強くなれる。